インタビュー コラム

《西荻・天徳湯》銭湯がなくなるということ

2017年7月30日

西荻窪・天徳湯

今日、この銭湯は70年の営業を終えようとしている。

2017年7月29日、最終営業日の前日。
私はお風呂を借りに、天徳湯へ向かっていた。

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2週間前、SNSでたまたま流れてきた銭湯の営業終了の投稿。

どこの馬の骨かもわからない私の「どうしても取材させてほしい、写真を撮らせてほしい」という無理なお願いを「金曜の営業時間前なら」と快く受けてくださったおかげで、既に一度会って色々とお話を聞き、見所ばかりの銭湯の浴室、脱衣所、外観の全てをしっかりと撮影し終えていた。

しかし、突然電話をかけて厚かましくも「写真を撮らせてください」と言ったくせに、私はこの銭湯でお風呂を借りたことがない。

今回の上京は急な予定をやりくりしてドタバタしていたので、
「もしかしたらお風呂に入れぬまま関西へ戻らなければいけなくなりそう」と何度か諦めかけていたけれど、前日に写真を撮らせてもらった時の素敵な空間に最後にもう一度会いたかった。

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東京都杉並区西荻北4丁目24−5

JR西荻窪駅から徒歩で15分ほど。

到着した銭湯の前には写真を撮ろうとスマホをかざしたおじさんがひとり、私もおじさんから少し距離をとった並びでカメラを構えたところ、おじさんが話しかけてくれる。

「なくなっちゃうんだってね、やっぱりさみしいから記念に写真撮って帰ろうと思ってね」

Tシャツに短パン、日に焼けて溌剌とした印象の優しそうなおじさんは今年72歳だという。

「小学生の頃からここにずーっと来ていたんだよ、小さい時は風呂でよく泳いでた(笑)でね、このコインランドリーの場所には昔池があってね。男湯の脱衣所から池が見えた。今ないんだけどね」

この銭湯に来る人はみんな仲間のような気がするのか、見かけない顔の私に色々教えてくれる。

「紙芝居屋さんとか来てた頃もあってさ、ここに来るのすごい楽しみにしてたんだ、ここに来ると友達にも会えるしね」

懐かしそうに銭湯の入り口脇の少し広い場所をぼんやりと眺める姿は寂しげだ。

明日も来るんですか?と聞くと、「もちろんそのつもり」と言って、じゃあねと帰っていった。

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16時半ごろ天徳湯と書かれた暖簾をくぐると、奥さんがニコニコして番台に座っていた。

「いらっしゃい、今日はもう最後のサービス、200円よ」という。

昨日はありがとうございました、と簡単に挨拶をし、”手ぶらでOK!お風呂セット”を買って早速女湯へ。

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16時からの営業開始時間からお客さんは絶えなかったようで、最後と聞いてその日初めて足を運んだ若い女性二人組もキョロキョロと脱衣所のポスターや置物を眺めて楽しんでいる。

ポスターや写真は「読売ジャイアンツ」と「富士山の写真」と「振り込め詐欺防止の啓発ポスター」

巨人の長島・松井・高橋のポスターはすっかり色あせていた。ご主人が大ファンで集めたものを貼っているらしい。

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すでに浴室には常連さんであろう白髪のご婦人がとりとめのない話しをしていた。

カポーンという洗面器を置く音と女性の声が響く浴室、入れ替わり立ち替わり10人くらいが常にいる状態で、昔を懐かしみながらゆっくり浸かって壁をじっと眺める人もいる。

天徳湯のお湯は熱め。体感で43度くらい。ゆっくり浸かっていると頭皮からポタリポタリと汗が滴り落ちてくる。

白髪のご婦人たちは若い頃からここへ通ってきたのだろうか。天気の話、最近膝の調子が良くないのよとか、ワイワイと楽しそうなのにどことなく哀愁が漂う雰囲気。

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街の人と関わり溶け込む為のコミュニティ

SNSだけでなく、インターネットすらまだ無かった時代、街のお風呂屋さんはその街に住む人のコミュニティだった。お風呂がない家も多かった昭和の頃、銭湯にデビューすることで街の人と関わりを持ち、その街へ溶け込んできたんだと思う。

私も以前住んでいた街で初めて銭湯に行った日、「あんた見かけない顔ね〜、越してきたの?」と話しかけられたものだ。

社交場というと仰々しいけど、子供の頃からその成長を見守ったり、街であった出来事を話したり、気のおけない仲間と会って身も心もスッキリさせる場所だったのかなと思う。

誰にとっても日常の一部だった銭湯は、1990年代になるとアパートの部屋にも風呂が備え付けられるようになって、徐々にひと足が減っていき、日常でなくなっていった。一番お客さんがたくさん来ていた頃に比べ、ここ何年かの少ない時は5分の1くらいに落ち込んでしまうこともあった、とご主人。

それまでの賃貸というと、風呂なし物件は当たり前、近所には東京女子大があり、その寮にもお風呂はなかったそうで、女学生さんたちがお風呂を借りに来て賑わっていたそうだ。

その後バブルの頃から、風呂なし物件は流行らない、とどんどん家にもアパートにもお風呂が備え付けられるようになっていった。生活をする身としては、やはりお風呂がついている物件の方がいい。毎日好きな時にお風呂に入れるからだ。

だけれど、その頃から隣に誰が住んでいるのかはわからないという今の東京になってしまったのかもしれない。それがいいことだとか悪いことだとかは言わないけれど、寂しいことではあるなぁと思う。

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女湯脱衣所のエクササイズ器具たち

お風呂を出たら、天気予報通り雨脚が強まっていた。

私はパックの牛乳を買って3分間20円のジョウバに乗り、ただぼんやり牛乳を飲みながら揺られながら、雨が通り過ぎるのを待つ。

脱衣所では当たり前のように「明日も来るの?」「来るよー、あんたも?」と常連さん同士が話している。見ず知らずのジョウバに揺られている私にも「雨ひどいわねぇ」と話しかけてくれた。

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カッパとイルカの壁絵

お風呂やさんはご主人のお母さんが前のオーナーから買い取って始めたそうだ。

買い取ってお風呂の壁絵を刷新するとなった時、今の「カッパがイルカに乗っている」風変わりだけれどカラフルで可愛らしい壁絵になったそうだ。

「タイル屋さんがこれがいいからと勧めてくれて、その通りにしたらこうなったんだけど、そのあとやっぱり富士山にしておけばよかった、って後悔したんだけどね」

そういえば銭湯の脱衣所には富士山の写真がものすごい枚数飾られている。

「でもお客さんたちは、このカッパは珍しいよ、素敵だって言ってくれるんだよね」と嬉しそうに話すご主人の姿が印象的だった。

常連さんの愛が詰まったお別れのあいさつ

雨足は強いまま、少しマシになるまでもう少しと番台前のテレビ前で涼んでいたら、主人が番台に座って何か冊子を読んでいる。さっき帰って行った常連さんが、天徳湯で撮った写真をA4サイズくらいに引き伸ばして製本してあるアルバムのようだった。

じっと眺める無言のご主人とは反対に、横から眺めていた奥さんは「この写真は屋根がちゃんと写ってる」と明るく評している。二重屋根は唐破風(からはふ)付き入母屋(いりおもや)造りの特徴ある屋根には思い入れがあるのかもしれない。

次々にやってくるお客さん、常連さんとみられる人は何か手土産を渡して入ってきたり、帰る人は置いてあった本やぬいぐるみを持ち帰っていく。

「また明日くるね!」笑顔いっぱいに帰っていくお客さんも少し寂しそうだった。

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いくつかの理由が重なって

毎日毎日22時を過ぎて閉店した後にお風呂と浴室の掃除をしてきたご主人ももう70代後半、体力的にも辛いと思ったとのことだった。時代の流れで客足も遠のいてとても儲かる仕事ではないという。

「実は私がもうやめたら?と何度か言っていたけれど、主人が後一年、もう一年ってやってたのよ」と奥さん。そうやって今日のこの日まで続けて来た天徳湯。

「少しでも儲けのある仕事なら息子への引き継ぎも考えたんだろうけどね、まあ体力的にもきつくてね」

そう言って辞める理由を話してくれたご主人。

「事業を次の代へ続けて行くにはいくつかの要素が上手く噛み合わなくては成り立たない」

とても当たり前なことだけれど、ご主人のお話を聞きながら私はそう感じた。

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私は天徳湯へ今まで通っていたわけではない。だけれど、最後に素敵な場所をちょっとだけでも垣間見ることができて本当に良かったなぁと思う。

帰り際、快く受け入れてくれたご主人に感謝の気持ちをいっぱい込めて、「お元気でね」と握手をした。ありがとう、と言ってくれたおじさんの笑顔はすごくいい顔で、でも少し寂しそうにも見えた。

「明日も来るの?」と言ってくれたことがとても嬉しかった。

長い間、地域の人に愛されてきた場所。

今日までお疲れ様でした。

<天徳湯アーカイブ写真:2017年7月撮影>

※浴室・脱衣所などの写真は前日の営業前に許可をいただいて撮影した写真です

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